ぶらっとJapan

足の向くまま、気の向くまま。おもに京都・大阪近郊をぶらぶらするブログです。

東山魁夷をめぐる旅 2 ~ 松尾大社 ~

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松尾神社にて 1964-66年(『今、ふたたびの京都』 求龍堂)

絵に比べるとすかすかですね・・・?

 見どころ満載の松尾大社は前々から行きたかった場所ですが、その大きな理由の一つが、東山魁夷でした。横浜に生まれ、神戸で育った魁夷は幼い頃から京都に親しみ、上京後も帰省のたびに、日本画家となってからも機会を見つけては、京都を旅していたそうです。京都の空気の持つ潤いに魅かれていた、と著書にあります。

 今回、参考にしているのは求龍堂から出版されている『今、ふたたびの京都』です。画伯と親交の深かった川端康成氏の小説の抜粋とともに京都を描いた画伯の作品が掲載されているのですが、いわゆる画集に出ている作品としてまとまったものだけでなく、旅の途中で描かれたであろうスケッチが多く掲載されていて、とても興味深いです。

 1947年(昭和22年)、39歳で『残照』が日展で特選となり画壇で認められてからは、次々と作品を発表し、順調にキャリアを築いていた画伯は、摂取する間もなく吐き出す作用ばかりの生活に危機感を覚え、1962年54歳で北欧への旅に出ます。それが、先日ご紹介した『古都の町から』のリトグラフへと結実していくわけですが、その旅から帰って来て、画伯の目は再び、日本的なものへと向けられるのです。

「私は、こんどこそ、生涯の中で最も心を籠めて、京都を深く味わいたいと思った。それは、京都の持つ日本的なものの良さに、無理なく心が通い、深く触れ合える地点に、私の遍歴が達したと思うからである」(東山魁夷『風景との対話』新潮選書)

 風景画家として著名な画伯ですが、日本の故里としての姿を京都に見いだし熱中したこの数年間は、風景だけでなく寺院や民家、生活や味覚まで味わいつくそうとしていました。そうして1969年(昭和44年)京都をモチーフにした連作集『京洛四季』が出版されるのです。

 今回ご紹介する『今、ふたたびの京都』に収められている松尾大社のスケッチは杓子(しゃくし)、つまりしゃもじです。これは楼門に奉納されたもので、これで「すくわれる」という意味があるといいます。杓子には家内安全、商売繁盛などの願い事が書かれています。1964~66年(昭和39~41年)ころのスケッチです。三玲氏の作庭は1970年(昭和50年)ですから、そのころにはまだ影も形もないですね。

 それにしても本殿とか松尾山とか鳥居とかモチーフになりそうなものはたくさんあるのになぜこの杓子が選ばれたのか。それがすごく不思議で、一度この目で確かめてみたいと思っていたのです。

 しゃもじを目の前にして思うのは、人の営みの愛らしさと、こんな小さな物に祈りを込めた人たちの切実さです。当たるも八卦当たらぬも八卦、そんな気楽な願掛けの人もいるかもしれませんが、同時に抜き差しならなくて、どうにも身動きとれなくてその身を投げ出すように祈るしかない人もいると思うのです。そう考えると、このしゃもじを通して、人と大社の深い関係が見えてくる気がします。風景ばっかり描いて画伯はちょっと人間嫌いなのかしら、と思うこともありますが、こういうところに注目する方ならそんなことないですね。

 1964年と言えば、東京オリンピックの年です。日本は高度経済成長期の真っ只中で、世間はちょっと浮かれ気味、街の景色も急速に変わっていったころですね。だけれども、この空間はそうした喧噪からは外れたところにあって、画伯は昔と変わらぬ、その静けさを愛したのかもしれません。

 なるべく画伯の絵に近い画角で撮影してみましたが、しゃもじの数は絵の方が断然多いです。お願いの内容が誰にでも読めてしまうので、最近の人は飾るのに抵抗があるのかもしれません。